駒場の歴史_第13回東浦和浄水場_その2

今回は「東浦和浄水場」の第二回です。第一回は、さいたま市の水道の変遷を中心に書いてきましたが、今回は東浦和浄水場の概要と、浄水場が災害時の市民への給水の役割を担っていることから、災害等で給水が止まった時のの対応等について書いてみます。今回も、本自治会会計の川合正吾さんとさいたま市水道局広報の和久津広明さんにご協力いただきました。

 

東浦和浄水場は、1959年(昭和34年)に地下水を水源とする浄水場として給水を開始しました。誰もが名前を聞いて疑問に思うのが、「東浦和」と名乗っていることです。「東浦和」といえばJR武蔵野線の駅名がありますし、2003年からは駅を中心とした町名も東浦和となり立派な駅と駅前施設が構成されてます。

しかし、浄水場が立った1959年には、武蔵野線は開通しておりません。京浜東北線だけがあり、その西側に南浦和浄水場、西浦和浄水場があり、東側に北浦和浄水場がありましたので、この地が「東浦和浄水場」と名付けられたのは至極当然のことと思われます。その後武蔵野線が1973年に開通し「東浦和駅」ができ、さらに2002年の土地区画整備事業により、大牧、大間木、井沼方、蓮見新田、中尾の一部等が「東浦和」の1丁目から9丁目まで整備されます。それに従って「東浦和浄水場」の東浦和も意識されなくなっていきます。

東浦和浄水場の概要を説明します。

一日の給水量は7,000立方メートルです。能力的にはもっとありますが、現在の運用水量です。井戸を4本持っておりまして、口径300ミリメートル×深度250メートルが2井、口径350ミリメートル×深度250メートルが2井あります。それに伴い着水井 50立方メートル1基、混和池300立方メートル1基、ろ水機11000立方メートル/日 3基と配水池1000立方メートル1基を持ちます。また、本浄水場管轄の井戸が駒場周辺にいくつかあります。グランド通りバス停わきの産業通りへ抜ける一方通行を逆の方に坂を下る方向へ進みますと、100mほど進んだ坂の右側に井戸があります。

浄水場内部の写真

浄水場内部の写真 配水槽の上部と見られます。

非常時の備え

非常時の備え

浄水場の入り口の横には上のような看板が掲げられています。

看板にあるとおり、非常の災害等で水道が機能しなくなったときに、ここで市民の皆さまに水を配布する場所であることを示しています。

具体的には、浄水場の北側を市民体育館に沿って進みますと敷地の中に下のような給水装置が見えます。ここから鉄柵ごしに、皆さまに給水することになります。敷地の中に一般の人が入ることは、安全上できません。

給水栓

給水栓

敷地内にいくつかの水槽がありますが、貯水槽には、ある装置がついています。浄水場内の地震計で震度6以上が観測されますと、自動的に貯水槽に水が貯まったまま給水弁と配水弁が閉じられ、貯水槽に1000立方メートルの水が確保されます。この水が皆さまに配られることになります。
ただし、水道局担当者が駆けつけて、準備してある給水の配管や蛇口等を準備する必要がありますのでそれを待たねばなりません。
さいたま市内には、このような配水池を持った施設が20ヶ所あります。また、配水池より小さい地下に埋められた災害用貯水タンクが67ヶ所、他に小・中学校に災害用井戸が設置されています。
ただし、水が備えられているだけでは意味がありません。私たちが水がある場所へ取りにいかねばなりません。そのためには水を運ぶための容器は水道局にはありません。各自が準備することになります。やかんや鍋でも良いのですが、重いわりには量が運べません。いろいろ勘案しますと、5~10リッターの容器が適正です。ビニール製の肩に背負える物が市販されていますので、いくつか買い置きをしておくのが良いと思われます。ビニール製の容器は、気温が高くなく風が通るところに保管しておきます。それでも10年すると劣化が生じますので、キャンプなどで使って、いつも新しいものが準備されているようにしておきたいものです。衛生上から考えても一つの容器を何回も使うのは問題がありますので、複数は用意しておきたいものです。専門家の意見ですと、人間が一日の生命を維持するための最低限の水は3リットルということです。
このほかに、さいたま市内の水洗トイレの普及率は90パーセントを越えていますので、駒場の住人は、水洗トイレを使用していると思います。この対策も考えておかねばなりません。これらの水は配布される水を使っていては追いつきませんので、お風呂の水を次ぎにはいるまでは風呂桶に残しておく習慣を身につけておくと良いかとおもわれます。
また、自宅から浄水場まで、実際に10キロの水を運ぶことを想定して歩いて下見をしておくことをお勧めします。

さらに、ここまで考えて、備えをしていても、全部使えないこともありえます。例えば、地震の規模が大きくて貯水タンクの給水を担当する職員が来られなくなるかもしれません。その時は、おそらく非常時避難所である市民体育館と本太中の開設もできない可能性が大きくなります。災害時の第一に考えることは、自分の身は自分で守らなくてはいけないということです。特に発生から3日間の身を守る心得は、普段から考えておきたいものです。飲み水も、電気も、排水もできない中でどうやって3日を凌ぐかで、命に関わってくるのは水です。ペットボトルなどで確保し、使用期限内に更新するようにしたいものです。災害の時は何が起こるかわかりません。普段から起きうることをシミュレーションしておくだけでも役に立ちます。自治会でも、避難所の運営等を考えてはいますが、昔から東北地方で言われている「津波てんでこ」という言葉を頭に置いておく必要があります。冷たい世の中といわれている中で、もっと冷たいことを言うようですが、まず、自分の身を守ってください。それが、大勢が守られることにつながるのが災害なのです。
以上で、給水系のことに触れて書いてきましたが、これほどの打撃が給水系で起きた場合は、排水系も少なからぬ打撃を受けるであろうことを想定しなければなりません。

今回は、東浦和浄水場の話しから災害時の水事情の話しまでしてきました。次回は、駒場競技サッカー場のことを浦和レッズと関連させて書きたいと思っています。