駒場の歴史 第七回 蓮昌寺の文化財

先回まで、蓮昌寺の歴史的、概略的なことを述べてきましたが、今回から数回は、具体的な文化財や、歴代のエピソードなどをお話したいと思います。
その前に、蓮昌寺にとって大きな変化がありました。それは、今までいろいろとお話をいただいいた中島存常氏が住職をお辞めになり、次の世代にお譲りになりました。新しい住職は後日、正式にお披露目されるとのことです。したがって存常師は、住職とは呼べませんので「院首」となります。
その存常院首に8月2日に再び蓮昌寺の細かい部分のお話をいただき、蓮昌寺だけでなく、駒場全体のことまで多くのエピソードを交えてうかがうことができました。
今回は、その中から蓮昌寺が所蔵する文化財について述べてみたいと思います。

 

青石塔婆

 

第五回で引用した『新編武蔵風土記稿』のなかに出て来る「古碑」のことで、開祖二階堂資朝公が、蓮昌寺を開山する時点で駒場の当地は荒川次郎九郎が所有し、そこには実相院という庵の跡がありました。そこに「妙運」、「妙信」の 青色の塔婆状の古碑がありました。調査の結果これが、「妙運」、「妙信」の塔婆であることが判明し、二階堂資朝公は、この地を「仏道有縁ノ地」と理解し出家を決意します。この青い石の塔婆が、二基、蓮昌寺に所蔵されています。
『新編武蔵風土記稿』には、「天文七年十二月九日妙運」、「弘治三年四月妙信」と刻んであるとされていますが、所蔵している塔婆からは、私は読み取れなませんでした。また、所蔵のものが、妙連、妙信のものと同一であるかは、完全には証明されているとは言えません。いずれにしろ西暦でいうと1538年と1557年の塔婆ということですので、貴重であることには間違いありません。所蔵品は写真にあるように、非常に鮮やかな青色で、詳しく鑑定すると多くのことがわかってくるかもしれません。

写真①②③

青石塔婆

長さ1メートルほどで、文字が記されていますが、判読は難しい状態です。

この2枚は、青石塔婆の文字を蓮昌寺さんが判読したものです。

この2枚は、青石塔婆の文字を蓮昌寺さんが判読したものです。

 

よろい塚発掘の石函

 

第一回の駒場の起原のなかで、産業道路の蓮昌寺下の現コマバグランドハイツを前耕地遺跡としてお話しましたが、竪穴式住居以外に、昭和39年(1964年)の発掘もう一つ発掘されたものがありました。掘り出した土砂の中からふたつの石の箱が掘り出されました。中身は風化して無くなっていましたが、ひとつは何も書かれていませんが、片方には写真にあるような銘文が漆で書かれていました。なお、写真は、銘文を木の板に墨書したものです。写真にある文を読んでみると1000人分の写経が納められていたことがわかります。
このことにより「よろい塚」の別名で「経塚」とも呼ばれるようになります。
銘文の内容から、蓮昌寺で出家していた二階堂資朝が寛永九年(1632年)1000部の法華経の写経を入れた石の箱を納めるために築いたものであることがわかります。資朝公にとっては、蓮昌寺を開創したにもかかわらず、住職に就かなかったことからの行動かとも考えられますが、推測の域を出ませんが、資朝公
の相当な決心と行動力が推し量られます。蓮昌寺院首の存常師の話では、発掘を行ったのは教育委員会で、出土直後は、石函の所有をめぐっていろいろ議論がされたそうですが、この銘文により蓮昌寺所有のものと決められたそうです。

銘文を記した龍派禅珠は、寒松とも号し、川口市芝の長徳寺の僧です。長徳寺は、今も元の場所にあります。資朝が小田原を逃れた後に、今のさいたま市の文蔵に10年ほど住んでいました。今はJRの線路があって遠いように見えますが、当時は、資朝も通いやすい位置ですので、その時期に信仰の師となったのが、龍派禅珠だったのでしょう。なお、この銘文の原本であろう紙に書かれた銘文が蓮昌寺に所蔵されています。

また、石函出土の地は、地元の人々も聖地としてとらえ、「オツカサマ」、「オオツカサマ」と呼んでいました。私も方形の上に丸い盛り土がされたいた姿を見て古墳があるのではないかと思い、何となく遊びで昇ったりするのは避けていたのを思い出します。

写真④⑤⑥

よろい塚からふたつ出土した石函のひとつでで、文字等の痕跡は見られません。

よろい塚から出土した石函のもうひとつのほうで、表面に漆で文字が記されています。

石函の文字を蓮昌寺さんが復元したものです。

 

 

この2点以外にも、蓮昌寺には文化的な価値が高いものはたくさんあります。二階堂資朝公の遺品、木像、などや、なにより本堂を含む建物も、江戸時代の創建の姿をかなり忠実に残しています。本堂の屋根の上の越屋根はその典型です。現在の建物として機能を保つために変更されている部分もあります。本堂の周りは、ぬれ縁で囲まれていましたが、今は廊下として整備されています。本堂の外観の特色は、床の高いことにあります。木造建築とって床下の通風は欠くことのできない要素です。今は、羽目板を少し伸ばし、安全を図ったうえでも床下の通風を確保し、アルミの柵で囲っています。

二階堂資朝公愛用の鞍と鐙

いろいろと配慮しながらも、私たちの子どものころに見た蓮昌寺の印象は保っていることは、ありがたいことです。

蓮昌寺旧本堂

茅葺き屋根時代の本堂の写真