駒場2丁目の真ん中あたりに、広くて、建物となにやら平たい構造物がある。ここは写真①にあるとおり、災害時の給水機能を持った水道の施設で「東浦和浄水場」です。
今回は、この浄水場を中心に、駒場の水事情についてお話します。取材にあたり、自治会会計の川合正吾さんに大変お世話になりました。また、川合さんの紹介でさいたま市水道局広報の和久津宏明さんに多くの興味深いお話をいただきました。
ちなみに、2017年で、さいたま市の水道は、給水開始から80周年を迎え、小さなお祝いが行われました。写真②にあるような冊子が出され、さいたま市の水道の歴史を中心に多くの事柄が記録されています。水道事業は地下に埋蔵されているものですが、生活を支える基盤であることがわかり、目立たない仕事を着実にこなしている人々の姿がプライドとともにあらゆる面で見ることができます。その一端でも伝えることができたらと思います。また、この頃やはり、写真②にあるような「さいたまの水」も発売されました。
「浄水場」とは、「配水場」とならんで、水を送る上で要になる役割を果たす重要な施設です。さいたま市内に20ヶ所あります。
「東浦和浄水場」の詳しい説明は、次に回して、今回は浄水場の前のさいたま市全体の水がどこから来ているかを、さいたま市全体の水道の状況から歴史的に説明したいと思います。当然、さいたま市の発足より前の話から始まります。
水道が普及する前は、ほとんどの家庭が井戸を持ち、そこから水を得ていた。多くは、ポンプ式の井戸で、飲み水をそこから得ていたので、中毒の発生や汚染には敏感にならざるをえなかった。飲み水のみでなく、風呂や洗濯に使う水もそこから得ていたので、「水くみ」が重要な仕事で、子どもの役割であった家庭も多く、それにまつわる想い出をお持ちの方も多いと思います。私の家でも風呂に使う水を汲んで風呂桶に入れるのは子どもの役割で、兄と喧嘩をしながらやったものです。また、熱く沸かし過ぎたときために、バケツにいっぱい水を用意して風呂に入ったものです。温度の調節が容易ではないので、多少の熱い、ぬるいは我慢のうちでした。
昭和10年 水道事業が始まります。初年度の加入は、全世帯の13%(約11万人)ででした。当然、駒場には来ていません。その時の事業者名は、「埼玉県南水道」でした。
年度別の配水管総延長、給水人口/行政人口、普及率を一覧にします。
配水管総延長 給水人口/行政人口 普及率
昭和33年 28km 15万人/37万人 40.5%
昭和50年 1413km 64万人/73万人 87.7%
平成 5年 2366km 95万人/95万人 以下、100%
平成17年 3240km 119万人/119万人
平成28年 3584km 1284万人/1285万人
これらの数字をどう読むかは、難しいですが、高度経済成長下の急速な宅地化が大きな背景になっています。また、同時に、県南部地区では町村合併が行われ、行政区域が広がっています。担当の和久津さんの話しからは、宅地化に水道行政がおくれが出てはいけないという使命感を持って仕事をされていた様子がうかがえました。
また、この間に水道局は大きな転換を図っています。それは、各家庭に、水道メーターを付けない放任栓式であったのをメーターを付けて、使用量により料金を決めるメートル制に切り替えています。まさに「湯水の如く」水が使える状態から使用量により料金を払う状態に変わったわけです。ちなみに、この転換により、使用量は格段に減ったそうです。やはり節水意識は大切です。
平成に入って、ほぼ100%(実際には99.9%)の普及率に達し、それ以降も人口が増加するにしたがって、配水管を敷設し、100%を維持します。平成28年には給水人口が行政人口より低くなっていますが、自家水道を備えたマンションや団地ができていると思われます。それまでも、工場など多量に水を使用する事業所では、自社で深井戸を持つ所があえいました。ちなみに、私の勤務していた学校では50%が井戸水(80m)で、50%が水道水を使っていました。経費面と安定取水の両面を考えてのことです。実際に井戸ポンプが故障したことがあり、100%水道水で凌いだこともあります。100%井戸水でしたら1週間は休校になっていたと思います。
水道水はどこから来ているか、
さいたま市では、当初は、100%地下水を使っていました。浄水場のほとんどが深井戸を持ち、必要量をまかなっていたが、人口増から井戸からの取水だけでは間に合わなくなったことと、地下水の取水による地盤沈下の危惧が指摘されるようになりました。実際に、東京江東区や大阪市などでは、地下水のくみ上げによる地盤沈下が発生し、大きな問題になりました。埼玉県では問題は発生していないが、長期的に見れば、地下水の過大なくみ上げは地盤への何らかの影響を及ぼすと考えられることから、川からの取水を強く検討します。
昭和43年に、図③にある大久保浄水場付近から荒川水系の水を取水し、昭和49年には、やはり図③にある庄和浄水場から、利根川水系の取水を開始している。
その後、川からの取水は増える一方で、今ではさいたま市の場合10:1で、河川からの取水が多くなっています。ただこの10:1は、取水能力の問題に起因するものではありません。河川の汚染等の問題が考えられることがあり、急に川からの取水を止めざるを得ない状況の発生が考えられることから、井戸水からの取水能力には余裕を持たせているためです。実際に、河川の上流にある工場が廃液を未処理のまま流した等の事情により、川からの取水を一時的に停止した旨のニュースを目にすることは時々あります。その場合、水道水の給水が減らないのは、井戸からの取水を増やして対応しているからです。ちなみに、東浦和浄水場を含めて、各浄水場は基本的に無人であるが、某所で集中管理されているので、このへんの調整は中央で一括して行っています。また、その状況は、通称「MSーYOU」というコンピュータシステムにより集中管理されている。ただし、それがある場所は、安全上明らかにされていません。
大久保浄水場、庄和浄水場で取り入れられた川の水は、構内にある複数の浄水池で、飲用に適するまで、浄化・消毒されます。その後幹線を通じて図④にあるような各浄水場・配水場に送られ、そこからは、一定の圧力をかけて配水管に送水され各家庭に送られます。一定の圧力とは、各家庭で庭に水を撒く際に飛ぶ程度のです。したがって、4階以上の建物では、圧力が不足する可能性があるので、屋上に高架水槽を置き、ポンプアップする必要があります。また、浄水場から遠くなると圧力も下がるので、各所に圧力を上げるための加圧装置が埋め込まれている。
今回は、ここまでで、来月の23回も東浦和浄水場について書きます。内容は場水場の内部の説明が入りますが、災害等で給水に支障が起こった場合についても書きたいと思っています。
ここに図④を入れて下さい、(80周年記念誌 P29にある図)「
注意 東浦和浄水場は無人だと書いたが、かなり厳重な監視装置が備えられている。不審者の侵入が起こった場合は、すぐに赤灯をつけた車が来て逮捕されることになります。